当たり前のこと
 



若先生は毎日毎日たくさんの方の苦しみや悲しみ、喜びや嬉しみなどを見せて頂いていますが、そうすると時々ふと思うことがあります。それはどうして人は、当たり前のことを当たり前のこととして、大切にできないんだろうって。しなくちゃいけないことをしないで、どうして人は幸せになることができるだろうっていうことです。


幸せになる人は、やっぱり幸せになるような生き方をしています。不幸になる人は、やっぱり不幸になるような生き方をしています。心から好きこのんで不幸になる方はもちろんいらっしゃらないのですが、不幸だと自分を嘆いている方は、どうしても不幸になるような生き方をされていることが多いなと感じるんです。そういう生き方をせざるをえなかった。そういう生き方をすることでしか生きてこれなかったというのがその真実だと思います。そして幸せになる人は、やっぱり幸せになる生き方をしているなぁって感じるんです。


幸せになっている人を見たときに、一番若先生が感じるのは、人間として当たり前のことを当たり前のこととして、大切にできているということです。しなくちゃいけないことを、しっかりとしている。そういう人はやっぱり幸せになるなぁって感じるのです。逆にその当たり前のことがどうしてもできないでいる人は苦しんでおられるんですね。その人にもどうにもならない心の黒い衝動のようなものに手綱を取られてしまって、当たり前のことがどうしてもできないでいる。それもこれもまずは何が当たり前のことなのかを知らないことが原因だと、若先生はつくぐく感じるのです。


どうしたら幸せになれるのかを考えると、当たり前のことを当たり前のこととして大切にすればよいのですが、ではその当たり前のこととはどうすることが当たり前なのかを知らないといけません。これを金光教では「天地の道理」と言います。天地の道理に沿った生き方をすることで、自ずと人は幸せになりますし、道理からはずれてしまうと、自ずと不幸な人生を歩まざるをえないのですね。だから神様としては人間に助かって欲しいからこそ、天地の道理に沿って生きてくれよと願われているんです。その天地の道理を人間に取り次いでいくのが、「取次者」なのです。もちろん若先生はプロの取次者です。誇りをもってさせてもらっています。


ならば若先生。その取次者として、人間が幸せになるために必要な天地の道理、当たり前のことをお伝えしたいと思います(笑)


さて天地の道理、当たり前のことと言っても、それはそれはたくさんあるわけです。一度に全部なんていうわけには行きませんし、どこまであるのやら見当が付かないのも事実ですが、これははっきりと言えるというものがありますので、それをここでは取り次いでいきたいと思います。


その当たり前のことの一つが、「感謝すること」なんですよね。ですので、今日は幸せの達人になるために必要な、人として当たり前のことについて、「感謝すること」を取り上げて考えてみたいと思います。

まず感謝するっていうのは、何に対してって考えてみたら、大きく分けて二つあると思うんです。一つは「人」に対して。もう一つは「モノ」に対して。


人は誰かにお世話になると、必ずお礼を言いますよね。よほど礼儀を知らない人とでない限りは、必ずお世話になった人に対してお礼を言うものだと思います。それは誰でも結構知っていることでしょ?でもね、何かモノにお世話になったとしても、そのモノに対して感謝してお礼を言う人っていうのは、かなり少ないんじゃないでしょうか。きっとすっごく少ないと思いますよ。モノには感謝しないのが、それこそ当たり前ってことになっちゃってる。いや、当たり前っていうことで済ませちゃってるんだね、きっと。これって、どうしてだろうね・・・。


こんな疑問を持ってる若先生の方が、ちょっと変わってるのかもしれませんけどね(笑)でもね、若先生は思うんだよ。人にお礼を言うのが当たり前のことならば、モノに言うのも当たり前でしょってね。


感謝する対象は人に対してだけで、モノに対しては感謝しなくても当然さ〜なんていうのは、ちょっと違うやろって思うのさ。もちろん世間では反対だよね。人にはお礼は言うけども、モノには言わない。けどやっぱりモノにも感謝することは大切やと思うんだよな。


若先生はね、ただ真実を大切にしたいだけなんだよ。世間がどうとか、一般的にはどうとか、現代の風潮ではどうとか、そんなんにはホンマ興味ないねんな。興味があるのは、本当に大切なことは何か、本当のことは何か、本物は何かってことだけ。ちょっと表現を変えるとね、人間としてね、この天地宇宙に生命を頂いて生きている人間として、どうしたって大切にしなくちゃいけないこと、つまり人として当たり前のこと、天地の道理をどこまでも大切にしたいんだよね。

そもそも感謝の気持ちっていうのは、何に対して現われるんだろうか。それを考えてみたいんだ。そしたらね、どう考えてもそれは、お世話になったからこそなんだよね。相手にお世話になったことに対して感謝の気持ちがわくんだよ。相手にお世話になっていなかったら、感謝する気持ちはわかないよね。


例えば、繁華街を歩いていたとするね。そこでたくさんの人とすれ違うわけだよ。でもその人たちに対して、立ち止まってわざわざ感謝することって、したことある?きっとないと思うんだ。けど、もし誰かに道を尋ねて教えてもらったらどうする?それはやっぱりお礼言うでしょう?どうしてかって言うと、それはその方にお世話になったからだよ。

 

「お世話になったことに感謝するから」

 

こそ、相手の方に対してお礼を言うんだよ。道を歩いていても特に何かお世話になっていなければ、お礼を言うことはしませんよね。でもお世話になったら、お世話になったことに対して感謝して、お世話をしてくださった相手には感謝する。何も難しくないでしょ?当たり前の話でしょ?


じゃあさ。どうしてモノには感謝しない人が多いんだろう。モノにだってたくさんお世話になってるでしょ?今、この若先生の教話を読んで下さっている人は皆、パソコンのお世話になっているじゃない。それは間違いないじゃない。もしもパソコンを全然使ってないのなら、事情は別だよ。でも、少なくとも今は、この若先生の教話を読んでくれてはる人はさ、みんなパソコンのお世話になってるじゃない。パソコンなかったら、見ることができないんだもん。間違いないよね。


それならば、お世話になるっていうことを考えたら、人にお世話になることもあるし、モノにお世話になることだってあるんじゃない。人にしかお世話にならないわけではなくって、モノにだってお世話になっているんじゃない。お世話になっていることに対しては、同じでしょ?それなのに、どうして相手が人なら感謝して、相手がモノなら感謝しないの?

 

若先生にはそれがよくわからない。

 

「お世話になっていることに感謝」するんだったら、
相手が人であろうと、モノであろうと関係ないよ。
でなくちゃ筋が通らないもの。矛盾してるよ。

 

違うかな?

 

若先生は、何も難しいことは言ってない積もりだよ。ただ世間では問題にされていないだけ。スッと通り過ぎてしまう問題なだけ。それを若先生がちょっと待ってよ。それって問題ありだよって言ってるだけ。だって若先生には、それがとても大切なことやと思うから。それが、

 

この天地宇宙に生命を頂いて生きている人間として、
自然な生き方やと思うから。
当たり前の生き方やと思うから。

 

だから問題にしてるんだよ。言ってること、理解してもらえるかな。人には感謝するけど、モノには感謝しない。その心は?若先生には、理解できないんだ。若先生、アホやねん。


人には感謝するのは、どうして?それは人が言葉を話すからなのかな。言葉を話すから、感謝するのかな。だとしたら、言葉を話す相手だったら、お世話になると感謝する。どうして?言葉を話さない相手だったら、お世話になっても感謝しないことになっちゃう。だとしたら、それはどうして?言葉を話す相手の場合は、これからの付き合いもあるから、だから感謝の言葉を述べるの?これからの付き合いのために感謝するわけ?だとしたら、これから付き合いがないとはっきりしている場合は、お世話になった方にも、これっぽっちも感謝しないのかな?理屈で言えば、どうしてもそうなる。けどやっぱり何か違うぞ。うん、やっぱり何か違う。

 

物言う相手には、お世話になったら、感謝する。
物言わぬ相手には、お世話になっても、感謝しない。

 

そんなのおかしいよ・・・。
若先生には、とてもそれが正しいと思えない。
とても自然な考えだと思えない。不自然だよ。

 

若先生は違うと思う。若先生は、お世話になったのならば、それが物言う相手、つまり人だとしても、物言わぬ相手、つまりモノであったとしても、お世話になったということに違いはないんだから、感謝するべきやと思うんだ。それが自然なことだと感じるんだよ。


難しいこと考えてない。若先生にとったら、そこに差別化をはかる方が、よっぽど難しいし、不自然なことだと感じる。生命の深いところで、そう感じるよ。何か違う。何かがずれている。


この天地に、120億年の宇宙に、大自然に、生命を頂いて生かされて生きている人間として、とてもおかしな生き方をしていると感じるんだ。


そしてお世話になる相手が人であれモノであれ、人もモノもすべてはこの地球の一部から成り立っているわけで、それは宇宙のかけらで成り立っているわけであって、天地の一部から成り立っているのであって、つまり地球、宇宙、天地のお世話になって、私たち人間はは生きることを支えてもらっていると思うんだ。


水や空気一つとってもそうだよ。人ではないよ。物言わぬ相手だよ。でも水や空気がなかったら、人間はひと時たりとも、生きることはできないよ。何をするのにも、たくさんの物言わぬ相手、モノにお世話になっているんだよ。何か楽しいことがあったとしても、目に見えないところで、水や空気のお世話になっているんだよ。多くの人はそれが当たり前になりすぎて、感謝する心を忘れてしまってるだけだよ。気づいていないだけなんだよ。

 

それが若先生は、良くないって思うんだ。
この天地、宇宙、地球に生命を頂いて生きている人間として、
間違っていると思うんだ。

 

言い換えると、

 

お世話になっているものすべてに対して、
感謝する心を大切にして生きていくことが、
この天地、宇宙、地球に生命を頂いて生きている人間として、
あるべき姿なんだと思うんだよ。
それが自然な生き方なんだと思うんだよ。
それが当たり前の生き方なんだと思うんだよ。

 

若先生の言っていることは、確かになかなか世間では通じないこと。でもね、それでも若先生は自分の言っていることに、無理がないと思ってる。むしろこのことについては、世間で通じていることの方が、無理があるとさえ思ってる。若先生は、当たり前のことを当たり前のこととして大切にしたいだけ。ただそれだけ。


そして宗教家として言わせてもらうとね、この天地、宇宙こそが神様の体なんだよね。神様の体そのものなんだよね。だから人は神様のお世話になって生命を頂いて生きることができるし、それがないと生きていくことさえできないと思うんだよ。それを神様っていう言葉を使おうが、使うまいが、そんなのはどっちでもいい。個人の自由だよ。


でもね、そういう目に見えない大いなる働きである、天地、宇宙、自然、地球、こういったものによって、僕たち人間は支えられているっていうことは、忘れてはいけないと思う。感謝していくのが、筋だと思う。それこそが天地の道理、宇宙の法則に沿った、あるべき生き方だと思う。この筋を通した、天地の道理に沿った生き方をすることが、この天地の間に生命を頂いて生かされて生きている人間が、幸せになっていく道だということなんだよ。それが真実なんだよ。


さらに宗教家としてもう一つ付け加えさせてもらうとね。若先生は、たくさんの人の不幸を見ているよ。この年でこれだけの色んな不幸見てる人は、世の中探しても、そうはおらんのとちゃうかなぁとさえ思ってる。不幸になる人は、必ず法則があるなぁって思ったよ。全然面白くない法則なんやけどね、でも絶対に間違いない法則があるなぁって。それは、

 

有り難いことを有り難いことと思わず、
当たり前のことを当たり前のことと思わず、
有り難いことを当たり前と思っている。
それじゃー幸せになられへんわなぁ。

 

ってことです。これは真実だと思ってます。


「感謝すること」一つとってもそうだよ。お世話になったことを感謝して、その相手に有り難うっていう。その有り難いことを当たり前のこととして片づけてしまわずに、有り難いことを有り難いこととして大切にしていくことだよ。それが実は、人間として当たり前のことなんだよ。その当たり前のことを、当たり前と思わないで生きている人が多いんだよね。そしてそういう人がみんな、不幸になっていっちゃうんだよね。


そして有り難いことを有り難いこととして大切にして、そうすることが人間として当たり前のことなんだからと当たり前のように大切にされていかれる人。そういう人は、みんな幸せになっていかれるんだよ。そういう生き方に気づいて、そういう生き方を大切にして、そういう生き方を少しずつ稽古していって、苦労しながら身に付けていった人だけが、不幸の沼からはい上がることができて、幸せな人生を送ることができるんだよ。


若先生は、この事実が、とても有り難くもあり、また当たり前のことやなぁって思うんです。だってね。

 

どんなにどんなに不幸な人でも、
正しい生き方に気づいて、稽古して、
実践していくことができたら、
必ず幸せになることができるんですもの。

 

これほど有り難いことはないですよ。そしてどうしてそうなるのかと問うてみるに、それこそが天地の道理なのだから、何も不思議なことではなくって、そうなって至極当たり前のことだなぁとも思うわけです。


そういう当たり前のことを、当たり前のこととして、大切にしていき、せっかくの生命を人間としてこの天地、宇宙つまり神様から頂いているんですもの。幸せに生きることができる方法、つまり天地の道理を知って、一人でも多くの人に幸せな人生を送っていきたいなぁと心から思っている次第です。その幸せになる生き方の具体的な一つが、「お世話になる全てに感謝する心」というわけです。


もっともっと具体的に「私はどうしたら良いのですか?」ということを知りたい方がいらっしゃったら、どうぞお取次を頂いて欲しいと思います。一人一人のケースに沿った天地の道理を取り次がせて頂くことができますから。


以上、若先生の教話でした♪